【コンビニ人間】読むと「普通」の世界が変わる ~2016年 芥川賞受賞作~

【コンビニ人間】読むと「普通」の世界が変わる ~2016年 芥川賞受賞作~
この記事のおススメ読者

・『コンビニ人間』の概要を知りたい方
・『コンビニ人間』を読んだ感想を知りたい方
・普通とは何かについて考えるきっかけが欲しい方

※この記事にはタイトル通り、『コンビニ人間』についてのネタバレが入っているので、まだ読んでいない方はご注意ください。

 今回は、2016年7月19日に第155回芥川龍之介賞を受賞した『コンビニ人間』の感想について書きました。私はこの作品を2018年の秋に読んでいます。後半には私自身が書いた読書感想文を公開します。

1. 『コンビニ人間』とは

コンビニ人間 (文春文庫)

 1-1. 基本情報

 『コンビニ人間』の基本情報は以下通りです。

  • 作者:村田沙耶香むらた さやか
  • タイトル:『コンビニ人間』
  • 初版発行:2016年7月27日
  • 初出:『文學界』2016年6月号
  • 刊行:2016年7月27日発売
  • 出版社:文藝春秋
  • ジャンル:長編小説、フィクション

コンビニ人間

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』❞より引用

 

 1-2. あらすじ

 36歳未婚女性、古倉恵子。大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしいと突きつけられるが…。「普通」とは何か?現代の実存を軽やかに問う衝撃作。

 あらすじを読む限り、誰しも古倉恵子という女性に対して、だらしないダメ女だと思ったのではないでしょうか?36歳未婚。しかも18年間バイト?コンビニ弁当食べる日々!?夢の中でもレジ打ちとか頭おかしいやん!!少し言い過ぎかもですが、普通なら誰しも思うはずです。

 しかし、その「普通」とは何なのかを考えさせられる作品が『コンビニ人間』なのです。

2. 『コンビニ人間』のテーマ

 2-1. 「普通」の定義とは

突然ですが、「普通」の定義が気になったので調べてみました。

  1. [名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。
  2. [副]
    1. たいてい。通常。一般に。
    2. (「に」を伴って)俗に、とても。

普通(ふつう)の意味 – goo国語辞書

goo国語辞書❞より引用

 

1番の意味から推測すると、普通とは多数派であるということですかね。地球上の人間全員がスキンヘッドなのに、その中に10人だけ髪を生やしている人がいたら普通じゃないですよね。神か王族か何か…。多数派が支持されるということは、マイノリティが排除される世界…さらっと恐ろしいですね。

2番の意味からは、通常・一般的には考えられないようなことが普通とは言えないようです。通常考えつかない理論や法則を見つけ出す科学者たちは普通ではない(天才)ですね。

上記2つの解釈はあくまでもgoo国語辞書によるものですが、個人的には「普通」という言葉は非常に定義しにくいものだと思っています。「普通」という言葉は定義できるものではない」と共感してくださる方もいるのではないでしょうか。

3. 『コンビニ人間』を読んで

 3-1. 筆者の読書感想文

私が「普通」という言葉を定義しにくいと思った理由には、『コンビニ人間』という作品にも関係しています。1年以上前に書いた読書感想文ですが、題名とともに綴るので、興味のある方は読んでみてください。

 それではどうぞ!

  題名:「普通」を形成するもの

  タイトル:『コンビニ人間』を読んで

 私は、この本を読み終えた後、主人公である古倉恵子がその人間性を保ったままこの小説となり、「普通」とは何だ?ということを率直に問いかけてくるような錯覚に陥った。

 古倉は子どもの頃から周囲に言動を奇妙がられたため、自分を隠しながら生きる道を選び、そのまま大人になった。そして、自分を隠し、人間に溶け込みながら生きる古倉が、コンビニ店員となってからは、その空間でのみ正常な人間になることができた。古倉を正常な人間にさせたのは、店員としてすべきマニュアルである。与えられた仕事をこなし、自分が社会になければならない存在であると感じられる瞬間こそ、古倉にとっては社会の歯車となり、自身の存在意義を見出すことができるのだろう。それは彼女自身が社会の一人として世の中に貢献し、正常な人間であることを実感できるからだと思う。

コンビニ店員として人生の約半分を生きる古倉は、状況に応じて周囲の人間の個を自分のものとし、他人の仮面を被ることで正常な人間を演じていた。私は、周囲から排除されないように他人の個性を盗んで自分に適応させることは、自身の個性を殺すことであると思う。また、普通を装おうとすること自体が本能に逆らう不自然なことであると思う。なぜなら、他人の「普通」は古倉にとっては「普通」に感じられないものもあり、自分にとって「普通」でない他人の「普通」を受け入れることで「普通」を装っているからである。

しかし、同時にこんなことを思う。古倉が自身を守るために本能として他人の皮を被っていたのではないかと。私自身、生まれてから誰の影響も受けずに、一人で今の個性を築き上げたとは思えない。どんな人間でさえ他人から何かしらの影響を受けることで、自分は他人の、他人は自分の個を無意識に身に着けながら生きているのではないかと思う。古倉にとっては、コンビニが原動力となり、コンビニという箱に詰まった様々なオブジェクトやマニュアルが古倉という一人の人間の個を形成していたのだと思う。

古倉がコンビニ店員を辞め、決まったサイクルを失ったとき、古倉はどうしてよいかわからなくなった。それは、小倉という歯車が社会から外れ、コンビニによって形成された「個」を失った瞬間でもあるからだと思う。

後に古倉と同居する白羽は、縄文時代と現代は同じものだと言う。私は、動物である人間が作り上げた文明である以上、弱肉強食のような世界で生きていかなければならない暗黙のルールは消すことができないと思う。

現代を生きるうえでの「普通」な出来事を世の中の標準として受け入れるならば、それは私たちの周囲に存在する歴史という時間の流れが創りあげた「個」の集合によって生まれたものだと私は考える。

 

 どうだったでしょうか?そう、「普通」とは時の流れで変化する流動的なものではないかと思っています。みなさんはどう思いますか?

まとめ

 人それぞれ捉え方は違いますが、私は『コンビニ人間』を読んでみて、普通とは何なのかを考えさせてくれる作品だと思いました。奇妙で、衝撃的であり、面白くもある作品なので一度手に取って読んでみてはいかがでしょうか?きっと あなたなりの「普通」に対する概念がみつかるでしょう。

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